やっと撮れた上海外灘の夜景♪~ハイライト編 [上海生活]
今回の上海入りのお天気ですが、22日到着時は晴れ間が多めでしたが良い天気でした。
でも、翌日からはどんよりドヨドヨのお天気で、曇りの連続でした・・・
到着日の夕食が長引いちゃったので、唯一晴れの日の夜景を見に出掛けられませんでした
23日は、曇っている中出掛けてみましたが、やはり厚い雲が掛かっていたので、
綺麗な写真が撮れませんでした。
24日は周庄に出掛けたので無理でしたが、周庄は時々小雨のかろうじての天気だったのに、
上海は雨だったので所詮無理だったようです
そして今日25日、連日同様曇りでしたが、前日の雨のお陰で、マジックアワーも狙えましたし、
そこから粘って、夜の外灘ビル群まで、なんとか綺麗なのが納められました
中国からのアップは困難なので、文章は簡単に、小学生の日記で失礼します。
(いつもやん!・・・えええええ!)
(おてもやん!・・・あんたこの頃‥)
(ボヘミアン!・・・葛城ユキヤン‥)
(バーミヤン!・・・行った事ない‥)
写真はいつも通り大きめのが別窓で見られるので、画像をクリックしてね
でも、翌日からはどんよりドヨドヨのお天気で、曇りの連続でした・・・
到着日の夕食が長引いちゃったので、唯一晴れの日の夜景を見に出掛けられませんでした
23日は、曇っている中出掛けてみましたが、やはり厚い雲が掛かっていたので、
綺麗な写真が撮れませんでした。
24日は周庄に出掛けたので無理でしたが、周庄は時々小雨のかろうじての天気だったのに、
上海は雨だったので所詮無理だったようです
そして今日25日、連日同様曇りでしたが、前日の雨のお陰で、マジックアワーも狙えましたし、
そこから粘って、夜の外灘ビル群まで、なんとか綺麗なのが納められました
中国からのアップは困難なので、文章は簡単に、小学生の日記で失礼します。
(いつもやん!・・・えええええ!)
(おてもやん!・・・あんたこの頃‥)
(ボヘミアン!・・・葛城ユキヤン‥)
(バーミヤン!・・・行った事ない‥)
写真はいつも通り大きめのが別窓で見られるので、画像をクリックしてね
東方明珠電視塔が誕生した年~1994年の上海外灘--追加オマケ-- [上海生活]
先週のブログで1994年の上海を紹介しましたが、、、
http://chinaart.blog.so-net.ne.jp/2012-02-10
その当時の様子がもっと良く判る画像がありました
帰任命令が出たので、上海からの撤収時に、記念品として買った「上海游(写真集)」に載っていました。
1997年に買いましたが、出版は1995年2月のものでした。
なので、写真は1994年の晩夏か初秋に取って居るみたいです。
ナイスタイミング(でも、写真集からスキャンしたらアカンヤン)
http://chinaart.blog.so-net.ne.jp/2012-02-10
その当時の様子がもっと良く判る画像がありました
帰任命令が出たので、上海からの撤収時に、記念品として買った「上海游(写真集)」に載っていました。
1997年に買いましたが、出版は1995年2月のものでした。
なので、写真は1994年の晩夏か初秋に取って居るみたいです。
ナイスタイミング(でも、写真集からスキャンしたらアカンヤン)
東方明珠電視塔が誕生した年~1994年の上海外灘 [上海生活]
1994年12月。
1993年3月15日に出張で中国上海へ出掛け始めて1年9ヶ月目。
この年の7月には漸くアパートも決まって落ち着き始めた頃だった。
この間に、上海,広州,北京,重慶,成都,西安,武漢を、新たなサービスセンターの立ち上げで、1人で
出張していた(日本からの応援は、契約と開業式の時くらいだった)。
中国を理解している人なら、言葉が大変(上海を含め全て方言)と思ってくれるかも。
「日本人」の発音が、北京は「リィベンレン」、上海は「ザパニン」、広州は「ヤップンニン」、四川は
「ズゥベンレン(+四声の第3声と4声が反転してるので抑揚が正反対になる)」。
「いったいどうなってんの」と思うのと同時に、覚えたての頃は、標準語がどれなのか混同した。
(或る日突然言い付けられた中国赴任だった為、中国語を習う時間なく上海に放り込まれたので、
全て現地にて耳で覚えた・・・)
渡航し始めの頃にも、外灘に来ると見えていたのは「東方明珠電視塔」の土台工事。
川の向こう岸(浦東区)のだだっ広い地面から、奇妙な球の付いた三本足だけがニョッキリと突き出した
不思議な光景。この頃の浦東区周辺は、NECの看板が目立つ「港務大厦」と、建設中の「震旦国際大厦
(節日毎にレーザーで文字が照射される金ピカビル。電卓企業AUROLAの看板がある)」しか、高いビル
らしきモノは無かった。
その真ん中辺りに、その三本足を従えて、次第に現れる円柱の物体。今思うと、定期的に写真の収めて
おくべきだった・・・。
そして、外灘脇にある上海大厦(百老汇大厦:上海マンション)の屋上広告塔には、当時の旅行雑誌や
パンフレットの「上海」コーナーに、必ず登場していた「aiwa」の電飾看板。
今と違って少し殺風景な外灘の景色を、昔の写真を引っ張り出して集めてみた。
1993年3月15日に出張で中国上海へ出掛け始めて1年9ヶ月目。
この年の7月には漸くアパートも決まって落ち着き始めた頃だった。
この間に、上海,広州,北京,重慶,成都,西安,武漢を、新たなサービスセンターの立ち上げで、1人で
出張していた(日本からの応援は、契約と開業式の時くらいだった)。
中国を理解している人なら、言葉が大変(上海を含め全て方言)と思ってくれるかも。
「日本人」の発音が、北京は「リィベンレン」、上海は「ザパニン」、広州は「ヤップンニン」、四川は
「ズゥベンレン(+四声の第3声と4声が反転してるので抑揚が正反対になる)」。
「いったいどうなってんの」と思うのと同時に、覚えたての頃は、標準語がどれなのか混同した。
(或る日突然言い付けられた中国赴任だった為、中国語を習う時間なく上海に放り込まれたので、
全て現地にて耳で覚えた・・・)
渡航し始めの頃にも、外灘に来ると見えていたのは「東方明珠電視塔」の土台工事。
川の向こう岸(浦東区)のだだっ広い地面から、奇妙な球の付いた三本足だけがニョッキリと突き出した
不思議な光景。この頃の浦東区周辺は、NECの看板が目立つ「港務大厦」と、建設中の「震旦国際大厦
(節日毎にレーザーで文字が照射される金ピカビル。電卓企業AUROLAの看板がある)」しか、高いビル
らしきモノは無かった。
その真ん中辺りに、その三本足を従えて、次第に現れる円柱の物体。今思うと、定期的に写真の収めて
おくべきだった・・・。
そして、外灘脇にある上海大厦(百老汇大厦:上海マンション)の屋上広告塔には、当時の旅行雑誌や
パンフレットの「上海」コーナーに、必ず登場していた「aiwa」の電飾看板。
今と違って少し殺風景な外灘の景色を、昔の写真を引っ張り出して集めてみた。
家の処分、上海最後の一日~さようなら上海編 [上海生活]
オペルのステーションワゴンは、新車ですので快適です。
なので、ヘンテコなものをガンガン載せて何かあったら申し訳ないですね~・・・
良く注意して載せました。(^^
なので、ヘンテコなものをガンガン載せて何かあったら申し訳ないですね~・・・
良く注意して載せました。(^^
家の処分、上海最後の一日~引越荷物編 [上海生活]
7月19日。
今日は最後の一日です。
とうとうこの日がやって来ました。
やって来るまでは、もうやって来ないんじゃないかと思った事もありました。
でも、やっぱりやって来るんですね。
部屋を明け渡したら、午後は友人宅で時間を潰し、夜のD次寝台動車組(新幹線)で北京へ旅立ちます。
先ずは午前中に、老宋へ譲り渡す家財道具の運び出しから始まりますが、その後で、
買い手に部屋を明け渡したら、その時点からここは余所の町になってしまいます。
これまでなら、当たり前のようにしてきた色々な事が、この日を境に出来なくなるんですね。
馴染みの市場(スーパー)、馴染みの散髪屋、そして馴染みの腹出し・・・(*o☆)\バキッ!
(そんなモン、北京でも見られるわい!ムード壊しおってからに!)
一つ一つが余所の世界になって行くんですね。。。
朝目覚めると、爺ぃは相変わらずグーグー寝ていますが、老宋はやっぱり裏でごそごそやっておりました。
ホテルに泊まった老劉ご夫婦が、朝からやって来るので、朝食に「ファミマのおにぎり」を買ってくる事に
しました。
馴染みの石橋からの風景・・・at Last
今日は最後の一日です。
とうとうこの日がやって来ました。
やって来るまでは、もうやって来ないんじゃないかと思った事もありました。
でも、やっぱりやって来るんですね。
部屋を明け渡したら、午後は友人宅で時間を潰し、夜のD次寝台動車組(新幹線)で北京へ旅立ちます。
先ずは午前中に、老宋へ譲り渡す家財道具の運び出しから始まりますが、その後で、
買い手に部屋を明け渡したら、その時点からここは余所の町になってしまいます。
これまでなら、当たり前のようにしてきた色々な事が、この日を境に出来なくなるんですね。
馴染みの市場(スーパー)、馴染みの散髪屋、そして馴染みの腹出し・・・(*o☆)\バキッ!
(そんなモン、北京でも見られるわい!ムード壊しおってからに!)
一つ一つが余所の世界になって行くんですね。。。
朝目覚めると、爺ぃは相変わらずグーグー寝ていますが、老宋はやっぱり裏でごそごそやっておりました。
ホテルに泊まった老劉ご夫婦が、朝からやって来るので、朝食に「ファミマのおにぎり」を買ってくる事に
しました。
馴染みの石橋からの風景・・・at Last
はだかのお付き合い・・・? [上海生活]
7月18日。
さて、引越に係わる大掛かりな片付けは今日が最後となります。
老宋は、こまと爺ぃの朝寝坊の付き合いが出来ないようで、朝の5時頃から、裏の作業場を散策(?)
していたようです。(森のようにゴチャゴチャしているので・・・)
片付け終わったかな~と思ったら、またその先から色んなものが出てくると良いながら、
おこちゃまの目になっていました~
そうそう、昨日の作業の書き忘れがあったので、こちらにちょっと書き足しておきましょう。
小黄に日本円を両替してきて貰ったので、そのお金を残して、他全てを北京へ送りました。
残した分は、また上海で交換するつもりでしたが、この所のレートが良くないことから取り敢えず
止めにしたので、あとで小陳に送金して貰う事にしました。
大手銀行なら、十数万から50万円まででも50元掛かる所が、この銀行は半額でした。
で、40万だけ先に送ったので、そしたら手数料も目減りして、20元で済みました。
中国の銀行は、建設銀行以外の大手程手数料が高く、小型なら安いようです。
特に高くて理不尽なのが「中国銀行」ですが、北京へ送る都合上、中国銀行の口座しか作って
なかったので仕方がありませんね。
今日は早めに食事が出来るように!!・・・と思いながら作業をしておりましたが、何だかんだと
やっているウチに、時間だけがドンドン進んで行きます。結局、昨日より半時間早いだけの8時に
なってしまいました。。。(ーー;
で、色々考えるのもしんどいし、今日は土曜日と言う事で混んでいましたので、
ちょうど一組分空きがあったことから、また昨日の「好客来」にしました。
さて、引越に係わる大掛かりな片付けは今日が最後となります。
老宋は、こまと爺ぃの朝寝坊の付き合いが出来ないようで、朝の5時頃から、裏の作業場を散策(?)
していたようです。(森のようにゴチャゴチャしているので・・・)
片付け終わったかな~と思ったら、またその先から色んなものが出てくると良いながら、
おこちゃまの目になっていました~
そうそう、昨日の作業の書き忘れがあったので、こちらにちょっと書き足しておきましょう。
小黄に日本円を両替してきて貰ったので、そのお金を残して、他全てを北京へ送りました。
残した分は、また上海で交換するつもりでしたが、この所のレートが良くないことから取り敢えず
止めにしたので、あとで小陳に送金して貰う事にしました。
大手銀行なら、十数万から50万円まででも50元掛かる所が、この銀行は半額でした。
で、40万だけ先に送ったので、そしたら手数料も目減りして、20元で済みました。
中国の銀行は、建設銀行以外の大手程手数料が高く、小型なら安いようです。
特に高くて理不尽なのが「中国銀行」ですが、北京へ送る都合上、中国銀行の口座しか作って
なかったので仕方がありませんね。
今日は早めに食事が出来るように!!・・・と思いながら作業をしておりましたが、何だかんだと
やっているウチに、時間だけがドンドン進んで行きます。結局、昨日より半時間早いだけの8時に
なってしまいました。。。(ーー;
で、色々考えるのもしんどいし、今日は土曜日と言う事で混んでいましたので、
ちょうど一組分空きがあったことから、また昨日の「好客来」にしました。
新開拓、好客来餐庁! [上海生活]
7月17日。
今日も荷物を発送しなくちゃいけません。
身体の調子は昨日ほど悪くはないので、今日は北京行きの荷物を出してしまいます。
昨日は深圳行きが3つだったそうで少なかったので良かったですが、今日は沢山あると思います。
で、今日は7つ出来ました。
既に5月に28個を出していますから、追加はこんな感じでしょうか・・・
部屋の明け渡し日は、買い手の都合が付いた明後日19日になりました。
この時期、北京へ帰る切符は、5日先でももう取れません。
喧嘩のあとでしたが、大変な事を解決しなけりゃならないので、手配しているウチになんだか元通り・・・(’’?
結果的に、買った切符は「D次」。
荷出しのついでに買ってきましたが、切符売り場は長蛇の列!!!
D次列車は高価なので、大抵専用窓口が設けてあるのですが、国際大都市の上海駅、
何故だかそれが有りません・・・
そこで爺ぃが取った行動は・・・・・・
並んでいる前までテクテク進み、優しそうなお兄さんを見つけて話し掛けます。
すると・・・・・・
そのお兄さんの前に入っちゃいまして、2,3人目で切符購入。
D次ですから、他の人の席を邪魔する事はありませんが、他の人はそんな事知りませんしね。。。
上海から義烏へのD次新幹線は「座席」のみですから「76元」でしたが、上海から北京へのD次新幹線は
「寝台」ですので730元も取られます。
飛行機も見てみましたが、シーズン価格で1000元を下りませんでしたので、渋々730元も出してのD次です。
初めてのD次寝台、明後日しっかりレポートしますね!!
・・・と言う事で、かなり遅くなっちゃいましたが、今日もみんなで慰労会です。
もう8時回ってます・・・・
(手元に有りながら使った事がなかったのですが、今回から「NikonEditor」で仕上げたので、粒立ちの 引き立つ画像にすることができました。みんながこの仕上げをしていましたが、どの方法か判らなかった のです。でも、手元にあったソフトだったとは、、、将に当代もと暮らしでした・・・)
今日も荷物を発送しなくちゃいけません。
身体の調子は昨日ほど悪くはないので、今日は北京行きの荷物を出してしまいます。
昨日は深圳行きが3つだったそうで少なかったので良かったですが、今日は沢山あると思います。
で、今日は7つ出来ました。
既に5月に28個を出していますから、追加はこんな感じでしょうか・・・
部屋の明け渡し日は、買い手の都合が付いた明後日19日になりました。
この時期、北京へ帰る切符は、5日先でももう取れません。
喧嘩のあとでしたが、大変な事を解決しなけりゃならないので、手配しているウチになんだか元通り・・・(’’?
結果的に、買った切符は「D次」。
荷出しのついでに買ってきましたが、切符売り場は長蛇の列!!!
D次列車は高価なので、大抵専用窓口が設けてあるのですが、国際大都市の上海駅、
何故だかそれが有りません・・・
そこで爺ぃが取った行動は・・・・・・
並んでいる前までテクテク進み、優しそうなお兄さんを見つけて話し掛けます。
すると・・・・・・
そのお兄さんの前に入っちゃいまして、2,3人目で切符購入。
D次ですから、他の人の席を邪魔する事はありませんが、他の人はそんな事知りませんしね。。。
上海から義烏へのD次新幹線は「座席」のみですから「76元」でしたが、上海から北京へのD次新幹線は
「寝台」ですので730元も取られます。
飛行機も見てみましたが、シーズン価格で1000元を下りませんでしたので、渋々730元も出してのD次です。
初めてのD次寝台、明後日しっかりレポートしますね!!
・・・と言う事で、かなり遅くなっちゃいましたが、今日もみんなで慰労会です。
もう8時回ってます・・・・
(手元に有りながら使った事がなかったのですが、今回から「NikonEditor」で仕上げたので、粒立ちの 引き立つ画像にすることができました。みんながこの仕上げをしていましたが、どの方法か判らなかった のです。でも、手元にあったソフトだったとは、、、将に当代もと暮らしでした・・・)