はだかのお付き合い・・・? [上海生活]
7月18日。
さて、引越に係わる大掛かりな片付けは今日が最後となります。
老宋は、こまと爺ぃの朝寝坊の付き合いが出来ないようで、朝の5時頃から、裏の作業場を散策(?)
していたようです。(森のようにゴチャゴチャしているので・・・)
片付け終わったかな~と思ったら、またその先から色んなものが出てくると良いながら、
おこちゃまの目になっていました~
そうそう、昨日の作業の書き忘れがあったので、こちらにちょっと書き足しておきましょう。
小黄に日本円を両替してきて貰ったので、そのお金を残して、他全てを北京へ送りました。
残した分は、また上海で交換するつもりでしたが、この所のレートが良くないことから取り敢えず
止めにしたので、あとで小陳に送金して貰う事にしました。
大手銀行なら、十数万から50万円まででも50元掛かる所が、この銀行は半額でした。
で、40万だけ先に送ったので、そしたら手数料も目減りして、20元で済みました。
中国の銀行は、建設銀行以外の大手程手数料が高く、小型なら安いようです。
特に高くて理不尽なのが「中国銀行」ですが、北京へ送る都合上、中国銀行の口座しか作って
なかったので仕方がありませんね。
今日は早めに食事が出来るように!!・・・と思いながら作業をしておりましたが、何だかんだと
やっているウチに、時間だけがドンドン進んで行きます。結局、昨日より半時間早いだけの8時に
なってしまいました。。。(ーー;
で、色々考えるのもしんどいし、今日は土曜日と言う事で混んでいましたので、
ちょうど一組分空きがあったことから、また昨日の「好客来」にしました。
みんなで集まって楽しく過ごす時間。
でも、脳みその足りない鬼ババが居たらこうは行きません。
小陳と老宋
あれだけ動き回る老宋は63才。
小陳も昼間の老宋の動きに感心して、その事で盛り上がったり。。。
今日は昨日と違ったメニューです。
玉蜀黍フレークがかかった石焼き海老。
香ばしさが魅力です。
これは、インゲンと肉末(豚肉ミンチ)を黒米の饅頭で包んで食べます。
今日食事に来ている人達は、爺ぃ、老劉夫婦、老宋、小陳、小黄、こま、、、そしてもう一人、
大切な友人が来て居るんです。
老宋も老劉も、そして小陳も知っている、哈密に居た「老王」です。
「老王」も、新疆莎車に居て仕事をしていた一人でした。
彼とは、2004年の敦煌1ヶ月滞在時、帰りの上海行きの切符が買えなかった時に、爺ぃのひょんな
機転から会う事の出来た爺ぃの大親友。連絡が付くと、その足で夜の戈壁灘を飛ばして敦煌まで
やって来ました。到着したのは朝の6時前。夜中を寝ないで駆けてきてくれました。
その後に、哈密まで出かけて楽しいひとときを過ごしましたが、偶然性だったことで会えた時間は
ほんとうに短かったのです。
「2005年の観光シーズンは、今度は敦煌に店を出して長居するつもりだ」
「お!じゃあ、絶対応援に行くからな!」
と、上海に戻ってからも連絡していたのですが、彼の都合で、永遠に会えなく無くなりました。
哈密に出かけて別れ際に戴いたのが哈密特産のこのワイン。
それが今ここで、上海生活の最後と呼べるその瞬間に開けられたのでした。
なので、姿は見えないのですが、彼もここに来て居ると言う事にして下さい。
莎車時代の親友知人が揃った今だから、このワインを開ける価値が充分にあったと思います。
でも、何故「老王」ご本人が居ない上に、こんな理屈を語るのか・・・
それは、2005年の3月、新聞記者の「老王」は、記事の取材で山へ出かけましたが、向かう途中の
車の事故で亡くなったのです。
その年の2月には、春節の挨拶をメールで受け取ったばかりでしたので、訃報を聞いた時には、
何が何だか判らなくなった程です。。。
その後から、このワインは遺品として残し、ずっと部屋に飾ってありました。
上海を去る今、この食事会が大きな節目となる訳ですし、今夜そのワインを開ける事にしたのです。
爺ぃには、新疆莎車時代に3人の大親友が居ました。それがその「老王」と、北京にいる陳老師。
陳老師は居ませんが、今この時この瞬間に開ける事が、亡くなった友人を迎えて楽しめる場と思ったのです。
請你干杯!老朋友!!
老王との絆深く・・・
一杯一杯復一杯!!
さて、食事が済んでみんなが帰宅の途に着く時間ですが、今日は最初から決めていました。
見ているだけで疲れているのが手に取れて判ります。
その老劉ご夫婦も、今日は泊まって戴く事にしました。
ただ、奥様もいる都合からこまの家では無理なので、近所にホテルを取れば良い事です。
実は、親友を偲びながら寛いでいた時間に、こまは奥様の寝間着を買いに、途中こっそり抜け出して、
スーパーの吉売盛へ出かけて来たのでした。可愛いけど年齢に関係なく着られる寝間着の上下と、
ご夫婦用にお揃いのくまさんタオルを買ってきました。
そう言うことで、食事のあとに、小陳たちを送り出したあと、好客来の斜め向かいに旅館を見つけて、
早速様子を窺いに向かいます。
一泊100元。まぁ、ホテルなので安い方です。こんなゴチャゴチャな所にあるので、殆ど期待せずに
部屋へ行きました。が、ベッドは小さいものの、なかなかのホテルでした。
標準部屋が満杯で、ワンベッドの部屋しか残ってなかったのですが、ご夫婦なのでOKです。
そこで、漸く取り出したのが、さっきこっそり買ってきたグッズ!
相手は恐縮しながらも呆れてしまい、素直に泊まってくれる事に。
薄茶色と薄ピンクのくまさんタオルは、思い出にとっておいて下さいね!
死んだ時の形見じゃなくてね~!
などと、しんみりしたり粋な計らいをして、帰ってきた爺ぃと老宋とこまの3人。
老宋は、またまた片付けを始めようとしますが、手が震える程疲労困憊しています。
彼を制止し、
「今日はもうゆっくりしましょう!」
と言って、持っていたカメラででっかいおなかをパチリ!
老宋は笑って喜んでおります。^^
爺ぃが寄ってきたので、老宋が、
「おなかの写真撮ってるんじゃ(いや、別にそう言う訳じゃないけど・・・・)」
と言うと、、、
爺ぃも併せて、その毛むくじゃらなおなかを出してツーショット!
あ~~!
力入れてる!!
本当は、もっとデブっと出てるのに~!
自分だけ良い恰好しております。
部屋の様子も記念に(5月に沢山取りましたが、壊れたHDDの中です。日本へ戻れば控えがあります)。
ほら、本当はこんなにたるんでおります。
昨日から、老宋とIWハーパーで晩酌しております。
「お酒は止められない」
が持論の老宋。
それに対して爺ぃが、何が持論じゃ!健康を害してまで飲み続けおって!と言っても、
穏和な老宋は、笑って受け流しております。
仲良しの奥様にも、今日の収穫・・・いやいや、成果を報告して、、、
もう既に翌日になってしまったので、寝る事にしますね。
明日は、老宋の荷物を送り出したあと、夜の列車までの間、老劉の家にも出かけて来ます。
これがこまの最後の上海ナイトでした。。。
(こちらもNikonEditorで仕上げたので、後半の見辛い写真もはっきりで済みませんでした~)
さて、引越に係わる大掛かりな片付けは今日が最後となります。
老宋は、こまと爺ぃの朝寝坊の付き合いが出来ないようで、朝の5時頃から、裏の作業場を散策(?)
していたようです。(森のようにゴチャゴチャしているので・・・)
片付け終わったかな~と思ったら、またその先から色んなものが出てくると良いながら、
おこちゃまの目になっていました~
そうそう、昨日の作業の書き忘れがあったので、こちらにちょっと書き足しておきましょう。
小黄に日本円を両替してきて貰ったので、そのお金を残して、他全てを北京へ送りました。
残した分は、また上海で交換するつもりでしたが、この所のレートが良くないことから取り敢えず
止めにしたので、あとで小陳に送金して貰う事にしました。
大手銀行なら、十数万から50万円まででも50元掛かる所が、この銀行は半額でした。
で、40万だけ先に送ったので、そしたら手数料も目減りして、20元で済みました。
中国の銀行は、建設銀行以外の大手程手数料が高く、小型なら安いようです。
特に高くて理不尽なのが「中国銀行」ですが、北京へ送る都合上、中国銀行の口座しか作って
なかったので仕方がありませんね。
今日は早めに食事が出来るように!!・・・と思いながら作業をしておりましたが、何だかんだと
やっているウチに、時間だけがドンドン進んで行きます。結局、昨日より半時間早いだけの8時に
なってしまいました。。。(ーー;
で、色々考えるのもしんどいし、今日は土曜日と言う事で混んでいましたので、
ちょうど一組分空きがあったことから、また昨日の「好客来」にしました。
みんなで集まって楽しく過ごす時間。
でも、脳みその足りない鬼ババが居たらこうは行きません。
小陳と老宋
あれだけ動き回る老宋は63才。
小陳も昼間の老宋の動きに感心して、その事で盛り上がったり。。。
今日は昨日と違ったメニューです。
玉蜀黍フレークがかかった石焼き海老。
香ばしさが魅力です。
これは、インゲンと肉末(豚肉ミンチ)を黒米の饅頭で包んで食べます。
今日食事に来ている人達は、爺ぃ、老劉夫婦、老宋、小陳、小黄、こま、、、そしてもう一人、
大切な友人が来て居るんです。
老宋も老劉も、そして小陳も知っている、哈密に居た「老王」です。
「老王」も、新疆莎車に居て仕事をしていた一人でした。
彼とは、2004年の敦煌1ヶ月滞在時、帰りの上海行きの切符が買えなかった時に、爺ぃのひょんな
機転から会う事の出来た爺ぃの大親友。連絡が付くと、その足で夜の戈壁灘を飛ばして敦煌まで
やって来ました。到着したのは朝の6時前。夜中を寝ないで駆けてきてくれました。
その後に、哈密まで出かけて楽しいひとときを過ごしましたが、偶然性だったことで会えた時間は
ほんとうに短かったのです。
「2005年の観光シーズンは、今度は敦煌に店を出して長居するつもりだ」
「お!じゃあ、絶対応援に行くからな!」
と、上海に戻ってからも連絡していたのですが、彼の都合で、永遠に会えなく無くなりました。
哈密に出かけて別れ際に戴いたのが哈密特産のこのワイン。
それが今ここで、上海生活の最後と呼べるその瞬間に開けられたのでした。
なので、姿は見えないのですが、彼もここに来て居ると言う事にして下さい。
莎車時代の親友知人が揃った今だから、このワインを開ける価値が充分にあったと思います。
でも、何故「老王」ご本人が居ない上に、こんな理屈を語るのか・・・
それは、2005年の3月、新聞記者の「老王」は、記事の取材で山へ出かけましたが、向かう途中の
車の事故で亡くなったのです。
その年の2月には、春節の挨拶をメールで受け取ったばかりでしたので、訃報を聞いた時には、
何が何だか判らなくなった程です。。。
その後から、このワインは遺品として残し、ずっと部屋に飾ってありました。
上海を去る今、この食事会が大きな節目となる訳ですし、今夜そのワインを開ける事にしたのです。
爺ぃには、新疆莎車時代に3人の大親友が居ました。それがその「老王」と、北京にいる陳老師。
陳老師は居ませんが、今この時この瞬間に開ける事が、亡くなった友人を迎えて楽しめる場と思ったのです。
請你干杯!老朋友!!
老王との絆深く・・・
一杯一杯復一杯!!
さて、食事が済んでみんなが帰宅の途に着く時間ですが、今日は最初から決めていました。
見ているだけで疲れているのが手に取れて判ります。
その老劉ご夫婦も、今日は泊まって戴く事にしました。
ただ、奥様もいる都合からこまの家では無理なので、近所にホテルを取れば良い事です。
実は、親友を偲びながら寛いでいた時間に、こまは奥様の寝間着を買いに、途中こっそり抜け出して、
スーパーの吉売盛へ出かけて来たのでした。可愛いけど年齢に関係なく着られる寝間着の上下と、
ご夫婦用にお揃いのくまさんタオルを買ってきました。
そう言うことで、食事のあとに、小陳たちを送り出したあと、好客来の斜め向かいに旅館を見つけて、
早速様子を窺いに向かいます。
一泊100元。まぁ、ホテルなので安い方です。こんなゴチャゴチャな所にあるので、殆ど期待せずに
部屋へ行きました。が、ベッドは小さいものの、なかなかのホテルでした。
標準部屋が満杯で、ワンベッドの部屋しか残ってなかったのですが、ご夫婦なのでOKです。
そこで、漸く取り出したのが、さっきこっそり買ってきたグッズ!
相手は恐縮しながらも呆れてしまい、素直に泊まってくれる事に。
薄茶色と薄ピンクのくまさんタオルは、思い出にとっておいて下さいね!
死んだ時の形見じゃなくてね~!
などと、しんみりしたり粋な計らいをして、帰ってきた爺ぃと老宋とこまの3人。
老宋は、またまた片付けを始めようとしますが、手が震える程疲労困憊しています。
彼を制止し、
「今日はもうゆっくりしましょう!」
と言って、持っていたカメラででっかいおなかをパチリ!
老宋は笑って喜んでおります。^^
爺ぃが寄ってきたので、老宋が、
「おなかの写真撮ってるんじゃ(いや、別にそう言う訳じゃないけど・・・・)」
と言うと、、、
爺ぃも併せて、その毛むくじゃらなおなかを出してツーショット!
あ~~!
力入れてる!!
本当は、もっとデブっと出てるのに~!
自分だけ良い恰好しております。
部屋の様子も記念に(5月に沢山取りましたが、壊れたHDDの中です。日本へ戻れば控えがあります)。
ほら、本当はこんなにたるんでおります。
昨日から、老宋とIWハーパーで晩酌しております。
「お酒は止められない」
が持論の老宋。
それに対して爺ぃが、何が持論じゃ!健康を害してまで飲み続けおって!と言っても、
穏和な老宋は、笑って受け流しております。
仲良しの奥様にも、今日の収穫・・・いやいや、成果を報告して、、、
もう既に翌日になってしまったので、寝る事にしますね。
明日は、老宋の荷物を送り出したあと、夜の列車までの間、老劉の家にも出かけて来ます。
これがこまの最後の上海ナイトでした。。。
(こちらもNikonEditorで仕上げたので、後半の見辛い写真もはっきりで済みませんでした~)
お疲れ様でした!!
男性2人の見事なお姿
恥ずかしくて指の隙間から見てます(笑)
by uta (2009-08-20 17:01)
>utaさん。
ははは~。中国人はおちゃめで大らかですから、こんな事は表でもしょっちゅうですよ~。
この次に出てくる下町の風景ですが、西瓜売りが、またまたすっぽんぽんで立派です!!
(あ!勘違いしないで[あわわ]!おなかです。ズボンは居てますから。。。[たらー])
日本の奥様方なら、恥ずかしくて近寄れないでしょうけど、それが日常の中国では、ナンの抵抗もなく接しています。
習慣の違いって、本当に大きな違いですよね。。。[ぴーっ]
by こまちゃん (2009-08-20 21:33)