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鍾馗誕生神話/周濯街著・中国神話系列之一~鬼中豪傑-鍾馗~ [ART]

鍾馗さんの誕生後の神話はある程度有名ですが、どのように誕生したのかは余り知られておらず、
資料を見つけても、とんでもない内容だったりします。そこで、無類の鍾馗好きなこま自身が、その
生い立ちが紹介されている書物を翻訳し、ここに纏めてみることにしました[あせあせ(飛び散る汗)]


こまが「鍾馗」に興味を持ったきっかけは、こまが1993年に中国へ渡り、最初に出会った木彫りの像です。
四川省の老職人が彫ったと言うものでしたが、何故かサービスセンター真向かいにあった景徳鎮食器売り場
に陳列されていたと言う不思議な巡り合わせでした。その25cm弱の木像を手にした時から、鍾馗さんが妙に
気になり始めたのでした(阪神淡路震災では、あの大地震から33インチテレビを守った・・・と思ってたり[ふらふら])。

中国語を覚え始めの頃、広州文徳路にある工芸美術センターで、画家爺ぃさんの資料書物の買い出しに
付いて行った時、1995年初頭出版の「周濯街著中国神話系列之一~鬼中豪傑-鍾馗~」と言う本を
偶然見つけて、無謀にも買ってしまいました。

買った当時は判らない所だらけでしたが、それでも判る部分を繋げては少し理解し、時間が経った頃に
又見返して、更に内容の理解を増やして行きました。

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理解が深まるのと共に、鍾馗(Zhong Kui)さんの木像や石像などが、ドンどんんふえて行きました。
どんなモノでも良いと言う訳ではなく、選ぶに際してこまなりの拘りが有り、その状況下、現在拙宅には、
一番大きな80cmの木彫り像から小さな掌サイズまで、焼き物や木彫りなど併せて30体程の鍾馗さんが
来日し住んでおられます(^灬^[たらーっ(汗)]


おっと、、、前置きが長くなりましたが、鍾馗さんの誕生秘話を紹介しましょう。

終南山北麓の村で、学校の先生をしている鍾学究老師と、その奥さんの李氏女士の間に、丸々と
肥えた男の子が生まれました。
鍾学究はその子に、将来高官になる様な器量を備えて欲しいと願い、魁星の子をイメージして

 「鍾 魁(しょうき:Zhong Kui:姓は父親の「鍾」の文字で、名は二人の願いを込めた「魁」の文字)」

と名付けました。
鍾魁は、そんな両親の期待など知る由もありません。しかし彼は、まるでそれを理解していたかの如く、
幼いウチに九九も覚えてしまうと言う神童に育ち、13歳で儒学正員となり、15歳で学び始めた国子監
(体育教育過程学生最高位)を18歳で終了し、加えて、誰もが認める容姿端麗な青年へと育って行く
のでした。そうして鍾魁は、心技体を兼ね備えた、村一番のハンサムな秀才として評判になりました。

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(居るだけで福がやって来る‥の図)

やがて青年期になると、鍾魁は官吏(かんり)になる為に科挙試験を受けるべく都に出向く事になったの
ですが、三拍子揃った彼を妬んだ村の「杜平」と言う同郷人に填められて、試験に落ちる事になるのでした。
(なんと、三年越しで妬んでいた上での企みだったそうです)

それは、間もなく長安入りと言う宿場町で、試験場への順路をしっかり確認し安心した鍾魁は、前祝いと
言う事で、宿の主人に勧められるがまま、調子に乗って浴びるほどお酒を飲んでしまったのでした。
その店主は、実は杜平が化けていたのですが、酒で思考力が散漫になった鍾魁を、言葉巧みに長安の
山里にある「杜陵」と言う陵墓へ向かうように仕組んで、無残にもそこで鬼に顔を焼かれてしまうのでした。
(読んだ本では、その仕組んだ手口も事細かに出ていますが、量が多くなるので、ここでは割愛します)

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(振り返って平穏を願う‥の図)

しかし彼は、酔いが醒めた時に全てを把握し、命からがら宿場に戻り、そこに居た杜平に鏡をせがみます。
杜平は話をはぐらかせて、上手く話をして鍾魁を都へと向かわせるのでした。鍾魁は、その純粋さを伴う
聡明さが災いし、杜平の事を何も疑う事なく一路都へと急ぐのでした。

鍾魁が最後まで把握していなかった事は、彼を騙して陵墓の鬼洞窟へと誘った張本人が、同郷人の杜平
だった‥と言う事でした。

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(これも古い仕来りの「門神」と呼ばれる魔除けで、玄関先に置いたり、門扉などにその絵を貼り付ける。
熊鬚の方が似てると言うだけで鍾馗だと言う人もいますが、それは「正気」の沙汰ではありません(’灬’[たらーっ(汗)]
:鍾馗を使う場合もあります。その場合、手に槍じゃないし、頭には「状元」の位を示す破帽が必須)

鍾魁は何とか都に辿り着いて試験を受ける事ができました。
見事にトップ合格して「状元」の称号を授かる権利を得たものの、容姿をも重んじる当時の官使試験だった為、
火傷を負ったばかりの真っ黒で見難い顔の彼は、無残にもその権利を剥奪されてしまうのでした。

こまが落書きした鍾馗♪
(1995年、この本を読んだ時にこまが落書きしたもの。今はペンタブが有るので仕上げたいけどなぁ・・・)

故郷の面目を背負ってきている鍾魁は必死で抗議しました。頭脳は問題なく明晰だと強く訴え、試験官を
変えてくれとも嘆願したのですが、当時の規則が、一人の田舎学生に曲げられる訳も無く、悔しい思いで
立ち去るしか有りませんでした。
落第を苦にした鍾魁は、故郷の両親や村のみんなに合わせる顔がないと悔やみ、自害してしまったのです。
こうして鍾魁は無念の死を遂げる訳ですが、自殺をしてしまった彼は、当然の報いとして死の官人の裁きを
受ける事になります(日本と良く似てて「閻王」と呼びます)。

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(破魔の剣を一振りで鬼どもを粉砕す‥の図)

その頃都では、鍾魁の非業の死を知り、その才智ある若者の絶望を察して哀れに思った高祖皇帝は、
彼に本来受けるべき「状元」の官位を与え、官吏の衣(袍:うちぎ)にくるんで手厚く葬って呉れたのでした。
鍾魁の悲惨な経緯を知った死の官人は、彼の聡明さと潔さや人を思いやる心を重視して、

 「もしおぬしさえ良ければ、世の中に潜む鬼を退治する(俗欲や病から守る)使命を受けて貰えぬか

と訊ねました。
官人の心を察した鍾魁は、今となってはそれも又生き甲斐だと感じると共に、手厚く葬ってくれた高祖皇帝の
恩義に報いるべく、その意向を引き受ける事にしました。

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(獐頭洞大王--鼠目鬼をやっつけて片付けている鍾馗)

その任務に就くに当たり、容姿を厳つい髭面の風貌に変え、名前も「鍾馗」と変えて、特に善良な人間に
降りかかる災いから、その原因となる「悪鬼」を退治して廻るのでした。

名前を「」にした理由は、文字自体の意味ではなく、その形が示す「九つの首」でした。
彼自身が鬼になった事で鍾魁は、自分の名前の「」にしてみても、そもそも鬼と闘う事の暗示だったと言い、
ならば、悪さをするオロチ「九頭の龍」に例えて、「九つの首を持った鬼」と読み取れる文字の「」を、元々の
」と読みが同じだった事から、これに決めたのでした。

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(退治した鬼が、鍾馗の僕になる事も有ります(腹黒いままですが))

鍾馗の基本的な服装スタイルは、白い肌襦袢に赤い官吏の衣(袍:うちぎ)を纏い、背には扇子を差し、頭には
官吏「状元」の位を示す破帽を被り、足下は袴に黒靴、腰には破魔の剣を差し、懐には、最初に助けた楊貴妃
に貰ったとされる繍香袋を持っています(この部分には色々な説有り)。

以上、主たる内容の本筋を、下記文献から抜粋させて戴きました。
周濯街著中国神話系列之一(中国神話シリーズ・その一)~鬼中豪傑-鍾馗~
北京団結出版社・ISBN7-80061-577-4/Ia・279

病の玄宗皇帝を夢の中で救った話に、何処からともなく現れた官吏の衣(袍:うちぎ)を纏った無骨な大男が、
楊貴妃の大切な持ち物(紫香嚢と帝の玉笛)を盗んで行こうとした悪鬼を退治せしめん‥と言う話などが
ありますが、今回ここでは誕生秘話を書きたかったので割愛させて戴きます。

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(いつも持ってる扇子。なんでこんなにボロボロなのかは判りません。こまがストーリーを追加するとしたら、
手厚く葬ってくれた高祖皇帝が供えてくれたものとして、後生大切に持っている扇子だ‥としたいですね)



あ、そうそう。
玄宗皇帝の話で思い出しましたが、小学館の日本大百科全書の説明はひどいもので、よくもまあ、
寄りによってあんなレアで間違いと取れるような内容を解説として載せたなぁ・・・と驚いています。

06.jpクリックで大きな画像が見られるよg

その一部は、鍾馗と一緒に扱われる「蝙蝠」の説明で、「良く刀を振るって蝙蝠を打ち落としている絵が有り」
とされているのですが、上の絵を見て貰えば判りますが、あれは打ち落としているのでは無いし、また「刀」
と言うのも、百科事典の説明としては貧素のように感じます。
あれは蝙蝠が「福」を運んでくると言う意味を含めており、「中国語の音の引っかけ」なのですが、幾ら鍾馗が
神話の人物だとしても、鬼ではなく神でもある鍾馗に関して、百科事典で全くこうも酷い内容が書けたものだ
と思いました。

その小学館の百科事典での説明↓↓
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E9%8D%BE%E9%A6%97/

中国故事」に関しては、英語圏と違って「中国語と中国慣習」がネックになり、知る人がかなり少ない事も
手伝って、誤認識のままでもそのまま資料化されているケースが多いように感じます。

ここには上記の内容以外に、病床に伏す玄宗皇帝の夢枕に現れた鍾馗に問い掛けるシーンでも、一般的
じゃない表現が紹介されていました。
本来は(大半の資料では)、「高祖皇帝の恩義に報いるべく馳せ参じた」と言うべき所を、

 「もしオレを手厚く葬ってくれるならば、天下の害悪を除いてやろう

と、とても心優しく聡明な鍾馗の神話とは思えない、俗欲的な説明が書かれています。

マジひどい・・・[もうやだ~(悲しい顔)][がく~(落胆した顔)][ふらふら][あせあせ(飛び散る汗)]



鬼中豪傑--鍾馗
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世の中が平穏な時、彼は大好きなお酒をたらふく煽って寝ています[わーい(嬉しい顔)]

酒は、官吏に成るべく受けた科挙受験失敗のそもそもの発端でもあり、それが原因で最初の目的が果たせ
なかった事は、彼にとって唯一の過失となる訳ですが、自分に戒めを与える事は、何故か彼の習慣的な一面
のようですので、「鍾馗」となってからも、お酒だけは欠かさず煽るように飲むので、
場合によってはそれが少々ウイークポイントになってしまう事も有るようです。

この本の終りには、200余年人の世に貢献してきた彼が、魔界と通じる人間に、またお酒がらみで填められ
そうになるのですが、作者とみんなが鍾馗を引き戻そうとして彼に呼びかけるシーンで締めくくられています。

 回来吧,悪鬼之克星!
 醒醒吧,鬼雄鍾馗!



[かわいい]四虎でも紹介しました[かわいい]


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コメント 2

リル

>こまちゃん

五月人形の中の鍾馗さまは知っていたけど、
鍾馗さまの生い立ちは、初めて知りました。
貴重なお話をありがとうございます。

それにしても…こうもりを追い払っているっていう説明は…ひどいですねぇ。もしかしたら、英語圏の中国通の人のほうがよく知っているかもしれない…と思いました。なんだか、そんな時代なんだなーと、このごろ思います。
私のアメリカ人の教え子には大学で日本語で芥川龍之介を読んだっていう人もいましたから。
日本人もしっかりしないと。ねえ!


by リル (2012-02-17 15:28) 

こまちゃん

>リルさん。

心技体を兼ね備えイケメンだった鍾魁青年。その彼を妬み酷い目に遭わせた杜平青年。
物語は、この後24話も続くのですが、鬼にはめっぽう強い鍾馗なのに、最後まで杜平を
見抜けない、優しさ故の愚かさも持っています。気付いてて証さないのかも知れませんが[にこっ]

まさか日本有数の出版社の扱う百科事典が、日本のWikiを参考にしてたり、ブログに
惑わされているとも思いたくはありませんが、最近の連中は、便利なグッズを駆使して
いる事で、「出来る人間だ」と錯覚している気がします。
それは単に、「過去データーの寄せ集め」なので、弄り回すウチに、ニュアンスが少しずつ
変化してしまい、気付いたらデタラメになっている‥って事なんでしょうね。
その点西洋人は、彼らが持っている包容力の大きさが故の結果なのか、何をするにしても
探求心と手段などには、とても深いものを感じます。デリケートさとねちっこさのバランス、
いつも見習いたいと思って居ます。

ノートPCが出たての頃、NECのノートPCのCMで、「ノートパソコン持ってたら仕事できそう」
って言うコピーが有りましたが、未だに同じ事が言えている気がします。
会社採用通知までもがスマホって今の日本、これに危機感を感じています。

伝統を守り抜くためには、科学が邪魔になる場合もある筈ですから、科学を良く理解
した上で、被科学的なものをも受け入れられる度量と技量が要求されるべきだと思います。
「感動のはやぶさ地球帰還」もそうであったのと同じように、テクノロジーを使っているのは、
昔ながらの熱い血の通った人間たちなのですから[ぴかっ]
by こまちゃん (2012-02-17 16:21) 

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