曹洞宗峩山派の禅寺~神応寺・前編 [日本情緒]
八幡神男山に勧請し石清水八幡宮を創建した行教律師が、貞観2年(860年)に創建したお寺。
弥生時代、第15代応神天皇(201-310)の位牌所として建てられた。
当初は、四宗兼学(天台、真言、法相、律)の道場だった。
その後、曹洞宗峩山派の禅寺となり、神応寺と改称した。
寺名については、開祖・行教住坊の号によるものともいう。
足利将軍家により、釈迦如来像が本尊として安置され、それまでの行教作という本尊不動像は、
奥院(杉山不動、谷不動)に遷された。
室町時代、慶長年間(1596-1615)、尾張の正眼寺(小牧市)の末寺となる。
江戸時代、本尊は薬師如来像に変えられた。
平安時代、奈良大安寺の僧行教(生没年不詳)は紀氏だった。
行表に師事、三論宗、法相宗を学び、伝燈大法師位となる。
859年、宇佐宮からの男山へ八幡大神を遷座し、石清水八幡宮を建立した。
開山堂の木像行教律師坐像(重文)は、近代以前、神仏習合期の石清水八幡宮の開山堂に
祀られていたものが遷された。
神仏分離令(1868)後の廃仏毀釈により、1870年、石清水八幡宮の開山堂は神殿「継弓社」
となった。その時、像の頭には、烏帽子が釘付けされていたという。
江戸時代の杉板絵六面、狩野山雪の障壁が描かれている。
墓は、開祖行教や、山上には近代の航空機研究者二宮忠八(1866-1936)のがある。
重文の行教律師座像、豊臣秀吉の衣冠束帯の像が安置されている。
書院は伏見桃山城御殿の遺講で、襖や杉戸には狩野山雪筆による「竹に虎、御所車」などが
描かれている。
京都ガイド頁「http://everkyoto.web.fc2.com/」神應寺より。
今日から暫く晴天が続くそうです。
今日は、先日契約した「エコキュート」の設備を設置する日。
朝から業者さんが沢山来ております。
古い物置の場所に貯水槽を置くので、おととい、中身をカラッポににしておきました。
業者さんが引き取って、処分して呉れるそうです。
これ。
上には12年間使って、もうそろそろ交換した方が良いと言われていたガス給湯器。
タイミング的には丁度良かったのですが、全てコミコミで75万というのが気になります。
もっと気になるのは、居りこの金利が18.2%だってこと。
業者を調べましたが、一応関西で大きな会社でした。
その上での契約なので、何か利点でも無いと困ります。
10年間保証や色々あるのですが、それが総額88万以上の値打ちなのか…
電気代の軽減が可能なメーターを導入するためには、このエコキュートを契約しなければ無理だと言う事と、
その支払いが毎月4,900円で組み込まれているので、全部がシステムって事になるみたい。
毎月4900円の出費が掛かろうとも、電気料金の割り引き(夜間-70%,朝夕-20%,日中(9:00-17:00)+10%、
使用量区分無し)と、ガスを使わないので負担にはならず、トータル費用は下回るのだそう。
ま、メーターはあと10日前後後になるので、この点だけが理不尽。
その間、でっかい温水器の電機は、今と同じ費用で掛かり続けるようですから。
と、面倒くさそうな作業をしている彼らは放っといて、このために、朝から買い物に行っていなかったオカンを
連れて、いつものツジトミにやって来ました。でも、お茶セットとお湯のポット、茶菓子は出して上げております。
今日は沢山買うみたいなので、ツジトミの横手から続く道に「神應寺」があるので、ちょっくら見に行く事にしました。
神社の標識は、道しるべになっています。
その道の係りにある、大きなビルは、、、
モダンな写真館です。
壁がぴかぴかすぎて、景色が綺麗に映り込んでおります。
お寺の入り口参道は直ぐそこ。
その前には、八幡宮下宮の囲いが見えます。
神応寺参道口。
その楼門。
楼門越しに見えている山道の参道。
時間が無いので、老体に鞭打って駆け上がるとしましょう!(O灬O;
ダダダダダ・・・!
石段には、沢山の紫色の木の実がころがっていました。
更にε=ε=ヘ(*≧∇≦)ノ
ここから奥は奥の院。
ここに、更に上に繋がる階段があります。
これ。
階段下には、住職さんたちのポストが。
今駆け上がってきた参道。
腿がパンパンです・・・
その石段を駆け上がろうとしましたが、パンパンの腿が悲鳴を上げておりました。
のろのろ上がって来ると、何かを燃やしているので、煙が立ち込めていました。
それが良い雰囲気を醸し出してくれています。
鐘楼はあるのですが、鼓楼が見当たりませんでした。
鐘楼。
楼亭の屋根がしっかりしていますね。
そこから見た神応寺の境内の様子。
お
黄色い百両ですね
その中には、赤い万両も。
大金持ちですね~
鐘楼の周囲には、赤と黄色の百両が沢山
良い天気です。
肌寒いですけど、腿がパンパンのこまは汗だくです・・・(@灬@;
お稲荷さんも。
素敵な古木を真下からパチリ!
ご本堂です。
このご本堂、府道13号から男山の中腹に見えているお堂ですね。
文禄年間(1592-1596)、征韓の役にあった豊臣秀吉は、石清水八幡宮に詣で、軍の先鋒に八幡宮の
神官を望んだが、神社側はその命に服さなかった。
秀吉は機嫌を損ねたが、神應寺の住僧の機転により、征韓の首途にはまず応神天皇の御寺に参詣
すべきことを進言したので秀吉は機嫌を直し、寺領200石を寄進したという。
境内をワイドで。
10mmレンズを持ってきてないので(レンズやストロボの入ったリュックを持って来なかった)、
2枚繋ぎで作りました。
ご本堂に掛けられているプレートには「大雄殿」の文字が。
ご本堂右横の様子。
その奥にあった松の木。
一番奥から見た境内
(逆光ですが・・・)
趣のある縁側など。
屋根の軒裏の様子。
いつも見ている中国の寺院とは、全く違った安静な感覚。
ワビとサビの世界が広がっています。
まだまだ画像がありますので、奥の院や五輪塔などの紹介は、次のブログでお届けします
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