八幡市「天照山光明院念佛寺」散策 [日本情緒]
目医者さんへ出掛ける時、駐車場の方向関係から、スーパーツジトミから南へ繋がっている
石畳の道を通って行きます。
先日、眼医者に出掛けた時、隣にある念佛寺が気になっていたので、今日は余りにもお天気が良いし、
買い物を待つ間、自分の買い出しに出掛けた帰りに立ち寄ってきました。
意外に見応えがあったので、思いの外長引いてしまったようで、出迎えの催促電話が来ちゃいました
久々の快晴
梅をみたいと思いましたが、時間的に微妙・・・
月末狙いで今日は我慢しました。
なので、時間が空くと買い物に引っ張り出されます。
天気が良いくせに、風がビュービュー吹き荒れてて、自転車では無理って事です。
寒い風なので春一番では無いそうです。
オカンをツジトミで降ろした後、自分の買い物でキリン堂へ。
花粉の飛びが元気になっていたようなので、抗ヒスタミン剤の目薬を買いに来ました。
目医者の目薬は、結膜炎の炎症抑制用で「ステロイド系」なので、花粉で目が痒いのまでは直りません。
同じ花粉症対策目薬でも、300円~1500円まで有るんですね・・・
せこく、「400円」のアルガードにしました(ロート製薬)。
ツジトミに戻る途中、、、
(その目医者です)
前々から知ってたのに訪問した事が無く、目医者の時にチェックしていた「念佛寺」です。
写真で見ると広い間口ですが、センターラインの無い車の離合が精一杯の道に面しているので、
実際余り目立たないんです。
左サイドからパチリ!
右サイドからパチリ!
こちらには、「戊辰史蹟念仏寺の碑」があります。
楼門をくぐります。
天慶年間(938年~947年)、「阿弥陀聖」「念佛聖」とも呼ばれる空也上人が開祖で、「空也念佛堂」
とも呼ばれていたそうですが、慶応4年(1868年)1月の鳥羽伏見の戦いの時、官軍の砲火によって
本堂庫裏とも焼失したそうです。
少し新しくなったような感じですね。
本堂のうだつ面
正面両脇には、大きな雨水受けがあります。
樋と繋げられた水受けの桶。
金の紋章は、蝙蝠がデザインされています。
本堂正面。
資料が乏しく定かじゃ無いですが、多分「天照坐」かと。
勝手口側にあった墓碑。
倉の横には駐車場がありました。
車は正面の楼門脇に路駐してきたので、早速こっちへ回しておきましょう。
勝手口からのご本堂。
大屋根の獅子飾り。
辛そうなバランスを保っています
体操選手みたいです・・・
軒下の風鈴。
風になびいて奏でる音は、敦煌莫高窟の第96窟(九層楼)で聞いた音色に良く似ていました。
修繕したばかり?
木彫りの獅子頭が、たこ糸で吊られていました。
像頭はノーガードですね。
コケティッシュな灯籠。
・・・コケ(苔)が付いてるだけやん
お堂メインでもパチリ!
本堂正面の両脇にある灯籠。
「平成七年三月・五重記念」の文字が。
こんな感じで並んでおります。
陽差しが暖かい
境内はこんな感じ。
とても狭いですが、そんなに退屈ではありません。
(パノラマ画像は、クリックで大きいのが観られます)
倉の大屋根。
瓦尻の模様は巴ですね。
本堂の瓦。
新種のような巴柄もありますが、大屋根の瓦尻は全て「蝙蝠」でした。
軒の白塗りは、下宮(頓宮)とおそろいですね。
見てて気がつきましたが、瓦もお堂も新しいですね。
奥の方もパチリ!
向こうに見えているのは「らくがき寺」です。
正面の楼門裏面。
楼門の獅子飾り。
こやつも体操中です
楼門越しの本堂。
倉の軒裏。
白塗り部分が、象の鼻に見えます。
では、そろそろお暇したいと思います。
楼門表側の獅子飾り。
こちらの獅子飾りは、みんな体操選手でした。
石碑裏の文字。
では、オカンから電話で催促もあったので、これでさようならです
こんな、普通の町風情通りに面しています。
では、家に帰るまでの様子は、次のブログで~
石畳の道を通って行きます。
先日、眼医者に出掛けた時、隣にある念佛寺が気になっていたので、今日は余りにもお天気が良いし、
買い物を待つ間、自分の買い出しに出掛けた帰りに立ち寄ってきました。
意外に見応えがあったので、思いの外長引いてしまったようで、出迎えの催促電話が来ちゃいました
久々の快晴
梅をみたいと思いましたが、時間的に微妙・・・
月末狙いで今日は我慢しました。
なので、時間が空くと買い物に引っ張り出されます。
天気が良いくせに、風がビュービュー吹き荒れてて、自転車では無理って事です。
寒い風なので春一番では無いそうです。
オカンをツジトミで降ろした後、自分の買い物でキリン堂へ。
花粉の飛びが元気になっていたようなので、抗ヒスタミン剤の目薬を買いに来ました。
目医者の目薬は、結膜炎の炎症抑制用で「ステロイド系」なので、花粉で目が痒いのまでは直りません。
同じ花粉症対策目薬でも、300円~1500円まで有るんですね・・・
せこく、「400円」のアルガードにしました(ロート製薬)。
ツジトミに戻る途中、、、
(その目医者です)
前々から知ってたのに訪問した事が無く、目医者の時にチェックしていた「念佛寺」です。
写真で見ると広い間口ですが、センターラインの無い車の離合が精一杯の道に面しているので、
実際余り目立たないんです。
左サイドからパチリ!
右サイドからパチリ!
こちらには、「戊辰史蹟念仏寺の碑」があります。
楼門をくぐります。
天慶年間(938年~947年)、「阿弥陀聖」「念佛聖」とも呼ばれる空也上人が開祖で、「空也念佛堂」
とも呼ばれていたそうですが、慶応4年(1868年)1月の鳥羽伏見の戦いの時、官軍の砲火によって
本堂庫裏とも焼失したそうです。
少し新しくなったような感じですね。
本堂のうだつ面
正面両脇には、大きな雨水受けがあります。
樋と繋げられた水受けの桶。
金の紋章は、蝙蝠がデザインされています。
本堂正面。
資料が乏しく定かじゃ無いですが、多分「天照坐」かと。
勝手口側にあった墓碑。
倉の横には駐車場がありました。
車は正面の楼門脇に路駐してきたので、早速こっちへ回しておきましょう。
勝手口からのご本堂。
大屋根の獅子飾り。
辛そうなバランスを保っています
体操選手みたいです・・・
軒下の風鈴。
風になびいて奏でる音は、敦煌莫高窟の第96窟(九層楼)で聞いた音色に良く似ていました。
修繕したばかり?
木彫りの獅子頭が、たこ糸で吊られていました。
像頭はノーガードですね。
コケティッシュな灯籠。
・・・コケ(苔)が付いてるだけやん
お堂メインでもパチリ!
本堂正面の両脇にある灯籠。
「平成七年三月・五重記念」の文字が。
こんな感じで並んでおります。
陽差しが暖かい
境内はこんな感じ。
とても狭いですが、そんなに退屈ではありません。
(パノラマ画像は、クリックで大きいのが観られます)
倉の大屋根。
瓦尻の模様は巴ですね。
本堂の瓦。
新種のような巴柄もありますが、大屋根の瓦尻は全て「蝙蝠」でした。
軒の白塗りは、下宮(頓宮)とおそろいですね。
見てて気がつきましたが、瓦もお堂も新しいですね。
奥の方もパチリ!
向こうに見えているのは「らくがき寺」です。
正面の楼門裏面。
楼門の獅子飾り。
こやつも体操中です
楼門越しの本堂。
倉の軒裏。
白塗り部分が、象の鼻に見えます。
では、そろそろお暇したいと思います。
楼門表側の獅子飾り。
こちらの獅子飾りは、みんな体操選手でした。
石碑裏の文字。
では、オカンから電話で催促もあったので、これでさようならです
こんな、普通の町風情通りに面しています。
では、家に帰るまでの様子は、次のブログで~
2012-03-21 23:19
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