雲が多い晴天に思う事 [日常]
9月18日。
昨日のヘンテコなお天気は何だったのか、雲が厚いながらも晴天の本日
昼からカンカン照りだったのに、「今日は雨だって言ってたのにね」と一言言った途端、
バケツをひっくり返したような雨でした・・・
でもって、本日は雨の気配もなく晴れておりますが、が多いお陰で、植物を撮るにはベストな状態です。
最後の力を振り絞って咲いているモミジアオイ。
昨日に続いて赤い花でしたね
上の画像は蕊ピントでしたが、こちらは花びらピントでパチリ!
でも、この頁の画像では、ピントがどうこう言っても判りにくいんですけどね。
毎日震災の報道で心が痛い。
でも、何も出来ないけど。。。
その反面、その機会を利用して、私腹を肥やす人も多い。
そう言うのって意味が判りません。
自分が五体満足なのにそう言う事を考えつき、実行する輩の存在が信じられない。
今年の春先に貴州省卒節市へ出掛け、「自分の稼ぎの殆どを寄付」している髭オヤジに会いに行きました。
http://chinaart.blog.so-net.ne.jp/2011-03-20
「阿里木」と言う人ですが、見るからに厳ついその容姿とは裏腹に、「施し」と言うよりも「使命」として子供達を
中心に救おうと考えるその髭オヤジは、目の綺麗な優しい人でした。
彼は維吾爾人。維吾爾人による暴動を良く耳にしますが、そんなレベルの人間ではなく、3年の苦しい放浪
の旅で得た教訓が引き金となり、「人は教育が必要。その為には子供に教育を受けさせる環境が不可欠」
と言う事で、その為に、自分を救ってくれた卒節市での孤軍奮闘を誓ったそうです。
それを政府がもてはやすのですが、こま的には、「ちょっと待て!これは本来お前等がする事であって、
それを手放しで賞讃してどうすんの」と思いましたが、ここが浅はかな中国高官、物事の起点は見えない
んですね。
こう言うレベルの「他人に尽くす事を厭わない人」は他には居ないと思っていましたが、先日、また別の驚く
べき話をテレビで見ました。
アメリカの11才の少年が白血病に冒され、感染症から骨髄移植も出来ない状態で、3週間後の死を待つだけ
となっていました。その少年に願いを聞くと、ありふれた希望が幾つか掲げられ、それを叶えてあげていた所、
最後の願いと言う事で掲げられた事柄は、以前から疑問に感じていた「ホームレス」の存在でした。
彼らを完全に救う事など出来ませんが、「みんなに食事をあげて欲しい」と言い出し、その事に最初興味が
薄かった記者の心を動かし、挙げ句は全国に広まって行きました。
そしてその少年は、その様子を満足げに見つめながら、「人は諦めちゃいけない」と言い残し、微笑みながら
この世を去って行きました。
今も尚、少年の名前で色々な活動が行われていますが、彼が骨髄移植が可能で生きながらえていたら、
きっともっと素敵な事が出来たのでしょうね。
貧しい事を貧しいと思い、その原因を何に向けるかで、結果が二分するのでしょう。
「他人」に向けた人は、他人を羨み怨み妬み、挙げ句は誰かを悲しませる。
「個人」に向けた人は、諦めて素直に受け止めるか、それを戒めにしてがんばるか。
他人をどうこうして生きながらえるなら、死んだ方がマシと考えられない。
そう言う人の事が判りません。
昨日のヘンテコなお天気は何だったのか、雲が厚いながらも晴天の本日
昼からカンカン照りだったのに、「今日は雨だって言ってたのにね」と一言言った途端、
バケツをひっくり返したような雨でした・・・
でもって、本日は雨の気配もなく晴れておりますが、が多いお陰で、植物を撮るにはベストな状態です。
最後の力を振り絞って咲いているモミジアオイ。
昨日に続いて赤い花でしたね
上の画像は蕊ピントでしたが、こちらは花びらピントでパチリ!
でも、この頁の画像では、ピントがどうこう言っても判りにくいんですけどね。
毎日震災の報道で心が痛い。
でも、何も出来ないけど。。。
その反面、その機会を利用して、私腹を肥やす人も多い。
そう言うのって意味が判りません。
自分が五体満足なのにそう言う事を考えつき、実行する輩の存在が信じられない。
今年の春先に貴州省卒節市へ出掛け、「自分の稼ぎの殆どを寄付」している髭オヤジに会いに行きました。
http://chinaart.blog.so-net.ne.jp/2011-03-20
「阿里木」と言う人ですが、見るからに厳ついその容姿とは裏腹に、「施し」と言うよりも「使命」として子供達を
中心に救おうと考えるその髭オヤジは、目の綺麗な優しい人でした。
彼は維吾爾人。維吾爾人による暴動を良く耳にしますが、そんなレベルの人間ではなく、3年の苦しい放浪
の旅で得た教訓が引き金となり、「人は教育が必要。その為には子供に教育を受けさせる環境が不可欠」
と言う事で、その為に、自分を救ってくれた卒節市での孤軍奮闘を誓ったそうです。
それを政府がもてはやすのですが、こま的には、「ちょっと待て!これは本来お前等がする事であって、
それを手放しで賞讃してどうすんの」と思いましたが、ここが浅はかな中国高官、物事の起点は見えない
んですね。
こう言うレベルの「他人に尽くす事を厭わない人」は他には居ないと思っていましたが、先日、また別の驚く
べき話をテレビで見ました。
アメリカの11才の少年が白血病に冒され、感染症から骨髄移植も出来ない状態で、3週間後の死を待つだけ
となっていました。その少年に願いを聞くと、ありふれた希望が幾つか掲げられ、それを叶えてあげていた所、
最後の願いと言う事で掲げられた事柄は、以前から疑問に感じていた「ホームレス」の存在でした。
彼らを完全に救う事など出来ませんが、「みんなに食事をあげて欲しい」と言い出し、その事に最初興味が
薄かった記者の心を動かし、挙げ句は全国に広まって行きました。
そしてその少年は、その様子を満足げに見つめながら、「人は諦めちゃいけない」と言い残し、微笑みながら
この世を去って行きました。
今も尚、少年の名前で色々な活動が行われていますが、彼が骨髄移植が可能で生きながらえていたら、
きっともっと素敵な事が出来たのでしょうね。
貧しい事を貧しいと思い、その原因を何に向けるかで、結果が二分するのでしょう。
「他人」に向けた人は、他人を羨み怨み妬み、挙げ句は誰かを悲しませる。
「個人」に向けた人は、諦めて素直に受け止めるか、それを戒めにしてがんばるか。
他人をどうこうして生きながらえるなら、死んだ方がマシと考えられない。
そう言う人の事が判りません。
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