知足常楽 [北京生活]
8月15日。
毎年ややこしい日ですが、今年は当地の災害受難多発により、「哀悼の日」とされました。
0時から特別放送に変えられ、一般放送も有線デジタル放送も、全部同じ内容です。
で、市民は反感タップリで、外へ出てきては嘆いています。
「你也出来了!(あんたも出てきたんかいな)」
「在家没意思・・・(家にいてもおもろないから)」
でも、お天道様は親切で、今日のこの日は突然晴天に恵まれました!
中文訳:
知足常乐/zhī zú cháng lè
→満足すれば気楽に過ごせる。
小学校の工事ですが、「静音」と描かれた発電機が稼働していますね。
始終小さな音で動いているので、結構効果があります。
国貿三期が綺麗に輝いています。
午前中、雲1つ無い空でした。
午後、安貞里に居る爺ぃの親戚の叔父さんに会いに行く事にしました。
三年前、北京に来た時は元気で、爺ぃに絵を教えて貰って喜んでいましたが、独学で勉強しようとし始めた所、
脳の血管が詰まって入院・・・その後、やる気もなくなって、喰っちゃ寝るの生活です。
御年80才、励ましを兼ねて訪問します。
同じカットも撮ってみました。
朝より霞んできましたね。
夏の北京のはずですが、何かイメージが違います。
小区の建物に表示された建物案内。
ん?
この槐の木だけ、コブが沢山出来ています。
安貞橋へ行きますが、途中、紅橋に寄って行きます。
いつも行く電池屋で、爺ぃが携帯ケースや保護膜を頼むと、いつもタダでくれるので、
それでは申し訳ないと言う事で、家にあった白酒を渡したいそうです。
また687路が来ないかな・・・
歩道橋の上から火力発電所をパチリ!
ちょっとノロノロしたので、687路バスが寸前で出ちゃいました・・・
次に来た35路で、法華寺の紅橋市場まできました。
相変わらずの姿。
目の前を、馬車の果物屋が通ります。
ここは都心で二還路内ですが、こう言う風情も良い感じです。
店の前にある、スタバ風カフェ。
シーズンは結構流行っていますね。
お酒を渡して、先日貰ったケータイケースが良かったので、予備にもう一つ買ってきました。
また「くれる」と言うのですが、商品ですから、無理矢理お金を渡して、逃げるように出てきました。
久々の爽やかな晴天です。
この店の裏には、紅橋玩具市場もあります。
結構面白いですよ!
41路で崇文門西まで来て、、、
104電気バスに乗り換えます。
爺ぃが覚え違いをしてて、もう一つの崇文門西まで歩きましたが、さっきのでよかったと判明。
次の台基厰路口西まで歩いていると・・・
やって来た104路にクラクションでつつかれました。
直ぐに乗り込みます。
104路は沢山走っているので、大抵こんな感じで空いています。
長安街に差し掛かると、取材か何かの撮影をしていました。
バスに乗る事30分。。。
三環路の安定門まで来ました。
ロータリーにあった鼎のモニュメント。
この辺りは、北方で市内から遠いのですが、以前から有る古い住宅街なので拓けています。
ビルに映ったビル。
もうすぐ到着です。
安貞里に着くと、目的の小区は西面なので、歩道橋を渡ります。
歩道橋の上は、露天商の天下。
でも、今日の炎天下では天下違いみたいですね。
今日も、訪問前に果物購入。
また桃にしました。
桃なら、必要な分だけ食べられますし、高齢者でも安心。
到着です。
ここは、政府の退職幹部が住むアパート。
話しでは、毎日家に居ると言う事なので、元気がないのかなと思って心配していましたが、結構お元気でした。
編集で気付いたのですが、御仁はノーパンだったらしく、とても立派なのがシルエットに出ていたので、
慌てて隠させて戴きました~
で、お話ししていると、
「座ってテレビを見てるだけで、それで快適なんじゃよ」
と、変な満足を覚えているようなので、折角入院して良くなったのに、運動もせずに家に居たら、
別の病気に好まれちゃいます。なので、日常の行動パターンを変えて、出来るだけ表に出るよう
話しをしました。
爺ぃの亡くなった奥さん側の親戚ですが、彼らは爺ぃがお気に入りで、爺ぃの為に吉林省での仕事を「鶴の一声」で
手配して下さって、5人家族を一家まるごと莎車(ヤルカンド)から引っ張り出してくれた人です。
彼が居なかったら、30数年前の動乱期、沙漠の田舎から都会に出てくる事など出来ませんでした。
「冶金部(金属加工業)」の北京支部事務所で総経理だった方なので、その権力は半端じゃありません。
でも、「賄賂を絶対に取らない総経理」だったので、中国共産党的には「変人」で有名だったそうです。
(それが正当なんですけどね)
とてもそんな中共のトゲトゲな世界に居た人とは思えない、とっても温厚なお爺さんです。
なので、退職時に行われる遡り捜査では、伝票などからは勿論不正などは出てくるはずもないですし、
賄賂履歴のチクリも無かったそうです。
(チクリ:賄賂を渡した経緯を見たりして知ってる連中が、ドコドコから金子を受け取っていた事があるなど、
調査部門に漏らすそうです。毛沢東時代の習性がこんな所にまで・・・忠誠や仁義の精神なんて無いんでしょうか・・・?)
みんなで記念撮影。
奥さんも気さくな良い人です。
夕食を戴き、7時半にはおいとましました。
まだまだ明るい空ですね。
バス停前。
バス停からの風景。
バスを待つ熊猫。
次第に、紺色の夕暮れになってきました。
104路バス内。
電気バスは、いつものバスとちょっと違います。
音もとても静かです。
王府井の南口。
崇文門西で60路に乗り替えたので、体育館前でバス停を移動するのですが、その時、35路がやって来たので
急いで駆け寄った際、地面に埋めてあるあの大きなスポットライト(大判のピザくらい有る)照明に躓いて
しまいました。
早足で駆けて行く途中、右ポケットに手を入れてバスカードを出そうとしていたので、出しかけた左足の
親指が、ゴルフのヒットポイント辺りで、まともにそのスポットライトを蹴飛ばしたので、こまのバランスは
バラバラ。もう倒れるしか無いと思ったら、頭を色んな事が駆けめぐりました。
丁度、カメラは左手で掴んでいたので、思いっきり転びはしましたが、点々のかすり傷が着くくらいで
済みました。
このスポットライト、目的は「街路樹を照らす」だけのもので、道に埋めてあるので夜は幻惑するので、
その周辺の地面は全く見えません。
転けただけで済みましたが、ヘタしたら、その先の花壇のくぼみに填って、大変な事になります。
多くの人が同じ目にあった経験があり困っていますが、役所は改善などしません。(ムダ金)
ホント、一般生活するには大変な国だと思います。
「世界」なんて語るな!と、簡単な事なのに、考えにくい不合理な事があると、いつも叫びたくなります。
これは、転けた後の試し撮り。
記録に残しておきました。。。
今日は、流石に晴天だけ有って、しっかり真夏日温度(35℃)を超えました。
でも、日本より遥かに体感温度が低いです。
ああ、すりむいた膝小僧がうずく・・・・
毎年ややこしい日ですが、今年は当地の災害受難多発により、「哀悼の日」とされました。
0時から特別放送に変えられ、一般放送も有線デジタル放送も、全部同じ内容です。
で、市民は反感タップリで、外へ出てきては嘆いています。
「你也出来了!(あんたも出てきたんかいな)」
「在家没意思・・・(家にいてもおもろないから)」
でも、お天道様は親切で、今日のこの日は突然晴天に恵まれました!
中文訳:
知足常乐/zhī zú cháng lè
→満足すれば気楽に過ごせる。
小学校の工事ですが、「静音」と描かれた発電機が稼働していますね。
始終小さな音で動いているので、結構効果があります。
国貿三期が綺麗に輝いています。
午前中、雲1つ無い空でした。
午後、安貞里に居る爺ぃの親戚の叔父さんに会いに行く事にしました。
三年前、北京に来た時は元気で、爺ぃに絵を教えて貰って喜んでいましたが、独学で勉強しようとし始めた所、
脳の血管が詰まって入院・・・その後、やる気もなくなって、喰っちゃ寝るの生活です。
御年80才、励ましを兼ねて訪問します。
同じカットも撮ってみました。
朝より霞んできましたね。
夏の北京のはずですが、何かイメージが違います。
小区の建物に表示された建物案内。
ん?
この槐の木だけ、コブが沢山出来ています。
安貞橋へ行きますが、途中、紅橋に寄って行きます。
いつも行く電池屋で、爺ぃが携帯ケースや保護膜を頼むと、いつもタダでくれるので、
それでは申し訳ないと言う事で、家にあった白酒を渡したいそうです。
また687路が来ないかな・・・
歩道橋の上から火力発電所をパチリ!
ちょっとノロノロしたので、687路バスが寸前で出ちゃいました・・・
次に来た35路で、法華寺の紅橋市場まできました。
相変わらずの姿。
目の前を、馬車の果物屋が通ります。
ここは都心で二還路内ですが、こう言う風情も良い感じです。
店の前にある、スタバ風カフェ。
シーズンは結構流行っていますね。
お酒を渡して、先日貰ったケータイケースが良かったので、予備にもう一つ買ってきました。
また「くれる」と言うのですが、商品ですから、無理矢理お金を渡して、逃げるように出てきました。
久々の爽やかな晴天です。
この店の裏には、紅橋玩具市場もあります。
結構面白いですよ!
41路で崇文門西まで来て、、、
104電気バスに乗り換えます。
爺ぃが覚え違いをしてて、もう一つの崇文門西まで歩きましたが、さっきのでよかったと判明。
次の台基厰路口西まで歩いていると・・・
やって来た104路にクラクションでつつかれました。
直ぐに乗り込みます。
104路は沢山走っているので、大抵こんな感じで空いています。
長安街に差し掛かると、取材か何かの撮影をしていました。
バスに乗る事30分。。。
三環路の安定門まで来ました。
ロータリーにあった鼎のモニュメント。
この辺りは、北方で市内から遠いのですが、以前から有る古い住宅街なので拓けています。
ビルに映ったビル。
もうすぐ到着です。
安貞里に着くと、目的の小区は西面なので、歩道橋を渡ります。
歩道橋の上は、露天商の天下。
でも、今日の炎天下では天下違いみたいですね。
今日も、訪問前に果物購入。
また桃にしました。
桃なら、必要な分だけ食べられますし、高齢者でも安心。
到着です。
ここは、政府の退職幹部が住むアパート。
話しでは、毎日家に居ると言う事なので、元気がないのかなと思って心配していましたが、結構お元気でした。
編集で気付いたのですが、御仁はノーパンだったらしく、とても立派なのがシルエットに出ていたので、
慌てて隠させて戴きました~
で、お話ししていると、
「座ってテレビを見てるだけで、それで快適なんじゃよ」
と、変な満足を覚えているようなので、折角入院して良くなったのに、運動もせずに家に居たら、
別の病気に好まれちゃいます。なので、日常の行動パターンを変えて、出来るだけ表に出るよう
話しをしました。
爺ぃの亡くなった奥さん側の親戚ですが、彼らは爺ぃがお気に入りで、爺ぃの為に吉林省での仕事を「鶴の一声」で
手配して下さって、5人家族を一家まるごと莎車(ヤルカンド)から引っ張り出してくれた人です。
彼が居なかったら、30数年前の動乱期、沙漠の田舎から都会に出てくる事など出来ませんでした。
「冶金部(金属加工業)」の北京支部事務所で総経理だった方なので、その権力は半端じゃありません。
でも、「賄賂を絶対に取らない総経理」だったので、中国共産党的には「変人」で有名だったそうです。
(それが正当なんですけどね)
とてもそんな中共のトゲトゲな世界に居た人とは思えない、とっても温厚なお爺さんです。
なので、退職時に行われる遡り捜査では、伝票などからは勿論不正などは出てくるはずもないですし、
賄賂履歴のチクリも無かったそうです。
(チクリ:賄賂を渡した経緯を見たりして知ってる連中が、ドコドコから金子を受け取っていた事があるなど、
調査部門に漏らすそうです。毛沢東時代の習性がこんな所にまで・・・忠誠や仁義の精神なんて無いんでしょうか・・・?)
みんなで記念撮影。
奥さんも気さくな良い人です。
夕食を戴き、7時半にはおいとましました。
まだまだ明るい空ですね。
バス停前。
バス停からの風景。
バスを待つ熊猫。
次第に、紺色の夕暮れになってきました。
104路バス内。
電気バスは、いつものバスとちょっと違います。
音もとても静かです。
王府井の南口。
崇文門西で60路に乗り替えたので、体育館前でバス停を移動するのですが、その時、35路がやって来たので
急いで駆け寄った際、地面に埋めてあるあの大きなスポットライト(大判のピザくらい有る)照明に躓いて
しまいました。
早足で駆けて行く途中、右ポケットに手を入れてバスカードを出そうとしていたので、出しかけた左足の
親指が、ゴルフのヒットポイント辺りで、まともにそのスポットライトを蹴飛ばしたので、こまのバランスは
バラバラ。もう倒れるしか無いと思ったら、頭を色んな事が駆けめぐりました。
丁度、カメラは左手で掴んでいたので、思いっきり転びはしましたが、点々のかすり傷が着くくらいで
済みました。
このスポットライト、目的は「街路樹を照らす」だけのもので、道に埋めてあるので夜は幻惑するので、
その周辺の地面は全く見えません。
転けただけで済みましたが、ヘタしたら、その先の花壇のくぼみに填って、大変な事になります。
多くの人が同じ目にあった経験があり困っていますが、役所は改善などしません。(ムダ金)
ホント、一般生活するには大変な国だと思います。
「世界」なんて語るな!と、簡単な事なのに、考えにくい不合理な事があると、いつも叫びたくなります。
これは、転けた後の試し撮り。
記録に残しておきました。。。
今日は、流石に晴天だけ有って、しっかり真夏日温度(35℃)を超えました。
でも、日本より遥かに体感温度が低いです。
ああ、すりむいた膝小僧がうずく・・・・
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